優先順位が違います。
何かおかしいと違和感を持つのは私だけでしょうか。確かに教育の機会を均等に与える、経済的な問題であきらめざるを得ない人にも進学の機会を与えることは意味のあることだと思います。ただ、やはりそこには一定の基準は必要で、すべてを無償化することにはならないでしょう。何の競争もなく、何の基準もなく、すべてを無償化して高等教育を受けてもよいのでしょうか。表現はよくありませんが、裕福な家庭で学費負担に全く問題がない人が、なんとなく大学に進学する費用を国民が負担するのはおかしくありませんか?
また、これから18歳人口が減っていく中で、淘汰される大学も少なからず出てきます。この無償化はそういった大学を存続させてしまい、全体でみれば逆に教育の質が落ちてしまうのではないかと思います。将来の日本を背負う優秀な人材を育てることは大切なことですが、一定の質を維持するためには少なからず競争があって、それをクリアしたのちの無償化ではないでしょうか。
また、国債ということは将来へのツケ回しです。これ以上借金を増やして次の世代の負担を増やすことがいいとはとても思えません。
百歩譲って、もし教育国債をするのであれば、教育の入り口部分、幼稚園とか保育園の方が先ではないでしょうか。優先順位が違いませんか。
※写真は清明神社の手水舎(京都市上京区)
2017年02月05日 08:47