3.11 あの日から6年
あの日、大阪でも震度3の揺れがありました。私は、お客様との打ち合わせに向かうため同僚と地下鉄で移動中のできごとで、揺れには全く気がつきませんでした。ただ、客先のビルに入ったとき、どことなくざわついていたことや、喫茶エリアのテレビの周りに人だかりができていたことで「何かあったな」と感じたつつ打ち合わせの場に臨んだことをよく覚えています。その後、お客様との会話で、被災地のシステムがダウンし、連絡が取れないという話を聞き、またテレビで流れる津波の生映像を見て、どんどん不安が大きくなっていったことは皆さんの記憶に残っている状況と同じです。
あれから6年、あのときの教訓、今どれくらい生活の中に生きていますか。水や、食料、非常用バッテリーやトイレ、薬といったモノの備えや、いざというときの家族の連絡手段や集合場所、避難方法といった行動ルール等、直後はいろいろ考え備えたのではないでしょうか。もし今、地震があったら使えますか? すぐ家族と連絡とれますか? 意外に使えなくなってしまっている備品、連絡手段もうろ覚えになっていませんか。いつも持ち歩いていた緊急用のメモやグッツ等、家に置いたままにしていませんか。これを機に今一度、点検してみてはいかがでしょうか。
最近よく言われているのは、災害に襲われたとき、すぐ会社や学校から帰宅するのではなく、安全や交通手段が確保されるまでその場にとどまること。或いは自宅からすぐ避難所に行くのではなく、自宅で安全が確保され、最低限の生活ができるのであれば、いる場所だけを自治体などに伝え自宅で生活すること。これにより、都市部の交通機関の不通による帰宅難民が駅や道路にあふれ、また避難所のキャパシティを超えて人があふれるといった状況を防ぐことができます。
そのためには職場や学校、自宅に最低限の食料・水・燃料などの備えが必要です。
よく言われる「最低3日分の備え」できていますか?
※写真は京都御所内・宗像神社(京都市上京区)
2017年03月11日 07:42