2月といえばこの年の記憶
高校3年の2月と言えば、大学入試で西へ東へと受験行脚の1ヶ月間、結果的には母校となった京都産業大学を初め、地元であった東海地域と東京の私学の受験。今にして思えば、あの頃の自分をちょっと褒めてあげたいくらい頑張った期間でもあったかなぁと思います。
このときの結果とその結果からの選択がもし違っていたら、おそらく今こうしてブログを書いていることはなかったかもしれません。誰しも結局は人生は選択の繰り返しなんでしょうが、この1985年2月の選択は、初めて自分自身で決めた、今の私がこうある原因となった最初の選択だったのであろうと思います。ターニングポイントだったのかもしれません。
本命の夢が叶わなかったことが「災い転じて福」ではありませんが、今に繋がっています。そんなきっかけの連続であった1985年の2月は、自分の中ではもう一度過ごして見たい時間でもあります。もう同じことはできないかもしれませんが・・・
2020年02月18日 17:46