誰のための、何のための「意向」が、あったのか、なかったのか
報道を見ていると、個人攻撃のコメントがあったり、財務省と文科省の対応の違い、読売新聞と朝日新聞の政府への立ち位置の違いなど、色々な構図や思惑が見え隠れします。私も思うところを一つ。
今回問題になっているのは、安倍首相がお友達に便宜を図って、獣医学部設置の許認可を与え、公金で助成をしたのか否かということ。でも、これに似たようなことは、多くの国会議員や地方議会議員もしているのではないのでしょうか?「陳情」という地元選挙民からのお願いです。道路や箱モノを作ったりといった公共事業には少なからず、議員の役所への働きかけがあります。もし、同じように安倍首相がお友達から陳情を受けて、内閣府の役人に「総理の意向」といわれる発言をしていたとします。でも今回の舞台となっている国家戦略特区の最高責任者は安倍首相ということからすれば、意見をすることがそのまま「意向」と解釈されると、逆に意見が何もできないということになってしまいます。
では、先の「陳情」を受けての働きかけ、と今回の安倍首相の意向(あったと仮定して)、どちらも同じ?、問題はないの?
私が思うに、学校という公共性はあるものの、もしお友達という一個人の利益の便宜が優先されて「総理の意向」を示していたとしたら、それは問題視されるべきでしょう。仮にこれが国立大学や、特区を使って〇〇研究所を建設したとしたら、あるいは私立大学でも、相手が全く他人であればおそらく何の問題にもなっていないはずです。
「公共の利益」と「個人の利益」、どこに重みをおいた「総理の意向」だったのか、結局は安倍首相の心の中にしか回答がないような気がします。
ただ一つだけはっきりして欲しいのは、事の発端である文科省のメモについて。「怪文書」「確認できなかった」「共有されていた」という抽象的な発言ではなく、まず「あったのか」「なかったのか」を明確に示して欲しいものです。関係する皆さんは国民の為に働いている人たちなのですから。
※写真は東寺の五重塔(京都市南区)
2017年05月27日 07:25