京都の通り名と北海道の地名の共通項
私がよく歩く地域、北は二条通、南は三条通、西は川端通、東は東大路通で囲まれた地域、このあたりの南北の通り名はすべて「新」がついています。仁王門通を挟んで北は西から、新車屋町通、新東洞院通、新間之町通、南は西から新丸太町通、新麩屋町通、新富小路通、新柳野馬場通、新堺町通、新高倉通となっています。そしてこれらの通りは、京都市の地図でいえば、鴨川を挟んでちょうど反対側、北は丸太町通、南は御池通、西は烏丸通、東は寺町通に囲まれた地域の南北の通り名と同じです。違うのは「新」がついているかどうかだけ。並び順まで同じです。
この理由、今でいうところの再開発事業の名残です。江戸時代にあった大火で京の町は広い地域で焼け野原になったのですが、時の為政者がこれを機に御所界隈の再開発を手掛けたのです。その際、御所の南、「新」のつかない通り名の地域に住んでいた人たちは、土地を放棄(献上)し、新しい土地に移ったのです。それが「新」のついている今の地域で、そこで新たに作った通り名に以前住んでいた通り名を付けたというのがその所以です。現代の「換地処分」がされたんですね。
同じようなこと、北海道にもあるんです。例えば、サロマ湖の近くの常呂町には、「岐阜」や「土佐」といった地名があります。また、渡島半島が日本海に一番突き出たあたりにある久遠郡には、「愛知」や「徳島」という地名があります。他に札幌の近くに「北広島」、釧路には「鳥取」など、実は北海道には本州の地名が多くあります。これは、開拓時代に屯田兵が入植したときに、出身地の地名を付けたことに由来しています。これが縁で姉妹都市の提携をしている市町村もあります。 地名というのは、そこで生まれ育った人にとっては名前と似たような感覚があります。かつての平成の市町村合併の際にも、新しい名前にはなるが、以前の市町村名をどこかに残しているのが多いというのも、そういった思いからなんでしょうか。
私も9月に北海道へ旅行に行った際、常呂町の「岐阜」を通りました。何となく懐かしい気持ちになったのはそういったものだったんでしょうね。
※写真は釧路川(北海道・釧路市)
2017年11月26日 06:18