ちはやぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは
春の桜は、冬が終わり自然に色が少ない中で桜一色という美しさ。これと比べて秋の紅葉は、モミジだけでなく、イチョウやケヤキなど、赤・黄・緑・橙など、木によって、場所によっていろいろな組み合わせで、色を感じることができるというところが魅力なんでしょうか。
同じ場所であっても、時間帯によってそのグラデーションが変わります。寺院では、建物や壁の色と組み合わさることによる効果もあるのかもしれません。 以前に聞いた専門家のコメントですが、日本の紅葉は世界でも類を見ない魅力があるそうです。四季がはっきりしているという気候条件の上に、落葉樹の種類が多いこと、またそれをうまく生活空間に中に取り込んで、共存していること。桜も紅葉も日本人の価値観にどこか共通するところがあるんでしょうね。「見事なほど咲いて、赤くなって、あっという間に散っていく」、平家物語に描かれている栄枯盛衰に重なる部分、ありますよね。
桜と紅葉が古の世からいかに日本人の心をとらえているか、それは百人一首にうたわれている句の数の多さでもよく知られたことです。桜と紅葉、奇しくもそれぞれ6句づつ、梅と菊がそれぞれ1句つづであることと比べればその違いは明らかです。選者の藤原定家の好みもあったのかもしれませんが、それだけではないのではと思います。
個人的に百人一首は好きでよく読みます。特に風景を描写している句は、あるときに参考になるのですが、わかります? それは趣味にしている「写真」です。あくまでも個人的な意見ですが、百人一首に読まれている景色をイメージすると、その切り取られている素材に驚くような句がたくさんあります。ちなみに紅葉の6句でもっとも好きな一句は、
「ちはやぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは」(在原業平)
落葉が水面に浮かんでいる光景がベースになっていますが、落ちてもなお圧倒的な赤をイメージさせますよね。私の写真、そうなっていますでしょうか?
※写真は栄摂院境内にて(京都市左京区)
2017年12月10日 09:43