ルールそれとも伝統、どちらが重い
今場所は既に休場となった横綱の白鵬、暴力事件の際にも、直接責任はないとしても同席していたということで処分を受けました。その場に同席していたにも関わらず、立場的に止めることもできたという、ある意味での「横綱」としての責任を果たせなかったことに対する処分。一般企業でいえば「監督責任」、これはもっとなことです。
ところが、この事件や処分をきっかけに、少し穿った見方をすれば便乗して、白鵬の普段の行いや、土俵上での振る舞い、相撲の内容まで取り上げられるようになりました。ここで、よく出てきた言葉が、「横綱の品格」。普段の素行や、土俵上の振る舞いに求めるのは当然ですが、相撲の内容、取り口にまで「横綱らしさ」を求めるのはどう説明がつくのかと考えてしまいます。相撲もプロスポーツであり、特に横綱には常に進退がかかっている訳で、そこに暗黙に制限を掛けるのはどうなんでしょうか。野球でいえば、今シーズン、ソフトバンクは送りバント禁止と言われているようなものです。
確かに「大相撲は日本の国技で、横綱というのは存在自体が別格、横綱らしく勝たなければならない、それが伝統」というのはわかります。ただ、この声が大きくなったのが、奇しくも暴力事件に白鵬が同席していたことをきっかけにしているように見えるのが、なんともおかしく思えます。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということのようも見えてしまいます。
スポーツには一定のルールがあり、伝統にはそれぞれ独自の無形のしきたりや慣習があります。相撲にはその両方が求められるのでしょうが、今回の横綱への批判には、そのきっかけが少し唐突なところがあり、またちょっと偏ってしまっているように思います。
さて、今後どうなるのでしょうか。
2018年01月22日 06:05