是非の価値観があまりにずれているように思えます
もし、例えば会社でいったん作成した社内文書を書き換える場合、それはどんなときでしょう。
【ケースその1】
作成した内容に間違いがあった。これは言い換えれば「修正」、そもそもの間違いを正すためのもので、何ら問題はありません。もしかすると事前の調査不足とか、チェック漏れといって注意を受けるかもしれませんが、結果としては前向きな仕事とも言えます。
【ケースその2】
そのままでは「自分」にとって不都合であるため、事実を隠した。あるいは虚偽の内容に書き換えた。これは「自己保身のための隠ぺい」です。もちろん、自業自得ですから、組織で相応の処分を受けるべき行為ですが、こういった場合はおそらく、「自分にとって不利なこと」を隠すための行為ではないでしょうか。人の為に自ら進んでするとはちょっと考えにくいですよね。
【ケースその3】
組織やに自分より上席の人にとって不都合なことを隠すために、事実を隠した。これは、「組織や特定の人の保身のための隠ぺい」です。自分にとって全く落ち度がない場合、曲がりなりにも自分を納得させて、こういった行為をするには、相当大きな見返り、大きな圧力(命令)がなければ普通の人はしません。一歩間違えば自分も同罪、あるいは責任転嫁の末に切られてしまいます。
さてさて、この2~3日で報道されている情報から、多くの人はどのケースが該当すると考えるでしょうか。実際、ある特定の人や組織に責任が集約され、隠ぺいされた事柄自体は大勢に影響がないかのように語られています。ケース2とケース3の決定的な違いは、「誰のためにされたのか?」。書き換えた内容をどう解釈しても、官僚自身が自らの保身のためにしたとは思えません。また、もしケース2なら、その本人に公の場で説明させても何ら問題はないはず。それを拒んでいるのは、やはりケース3であるからではと疑われても仕方がありません。
この問題、最終的にどういう結末が待っているのでしょうか。少なくとも責任転嫁やトカゲのしっぽ切りで終わり、というマイナスだけでチャンチャンということだけはないようにしてもらいたいものです。
2018年03月14日 16:51