単なるパフォーマンスとしても無駄なことのように思います
野党という立ち位置からすれば、政権与党の失策を責めてその責任を求めるというのは与えられた仕事というのは分かります。でも、何か問題があったとき、いつもその責任をトップに求めて、「辞任しろ」というのは、あまりに無益ではないかと思うのですがどうでしょう。
規模の大小はあれ、一つの行政官庁には多くの職員がいます。全国津々浦々で働く職員の、顔も名前も知らない一職員の責任を都度トップが取っていてはキリがありません。もちろん、大臣自らが辞任に値する行為をした、知っていた、隠していたという場合は論外ですが、少なくとも責任を取るべき範囲は無制限ではないはずです。組織である以上、上位者には監督責任があり、それに見合う報酬を得ている訳で、部下の仕事に対する連帯責任はあります。これは民間企業でも同じこと、でも何かあれば会長や社長がすぐ辞めるということにはなりません。
問題を起こした側が責任を取るのは当然ですが、そのために優秀なトップが管理責任や連帯責任を問われて辞任するのは、むしろ損失とも言えます。野党はそこまで考えて「辞任だ」といつも言っているとは到底思えませんし、パフォーマンスとしても肯定できません。毎回繰り返されるこの慣例、何とかならないものかとも思います。
もっとも今回の財務事務次官の問題については問題外であることは言うまでもありませんが。
※写真は真如堂境内にて(京都市左京区)
2018年04月19日 06:48