封印を解くのはやりたいことができなくなったとき
11月30日、2年前の今日、25年間勤務した会社を退職してフリーランスとなりました。
その後、ファイナンシャルプランナー・社会保険労務士として仕事をしています。色々な場で多くの人にお会いしましたがそこでよく聞かれること、「どうしてそこまで長く務めた会社を退職してまでこの世界に飛び込んできたの?」。最近、多くの方にこのブログを見ていただけるようになり、もう2年もたったこともあり、そのホンネの部分を少しお話ししてもいいのではと。本日のブログは私事です。
もし皆さんは「どうしても今の仕事以外にやりたいことがある」というときに、でも踏み切らずにそこに留まる理由があるとすれば何でしょうか。私の場合には、1997年に社会保険労務士試験に合格しましたが、今にして思えばその当時は「すぐ独立したい」という気持ちは結構強くありました。でも結局はその後20年間その気持ちを封印してきました。その最たる理由は、社会保険労務士として必要な知識を企業という組織の中で活かすことができたため。小さなソフトウェア会社でしたが、幸いにしてその中でシステムエンジニアと人事・総務担当者を兼任していたことで、労務管理や採用、研修といった人材育成を任せてもらえたことでした。またシステム開発でも社会保険や生命保険といった業務に関連する企業に派遣されることが多く、自分の知識を最大限活用できたことが大きかったように思えます。
会社自体も少数精鋭で、いわゆる専門家集団を旗印にして事業を展開していたこともうまくマッチしました。それぞれがプロとして社内でそのスキルを活かすことで貢献するという人達が集まっていた企業でもありました。ただ唯一のウィークポイントは社内の意思決定プロセスがシングルタスクであったこと。総意形成が前提でない会社の方針は一つの力によっていとも簡単に変わってしまいます。それによって今まで積み上げてきたものの多くが崩れ、多くの有能な人材を失った時期がありました。そこで打ち出されたのが徹底した利益追求と投資の削減、今の日本の基礎研究への予算削減にも似ています。
やがて私自身も自分の専門知識を社内で使う機会もなくなり、会社として人材への投資も大きく削減されました。一方で、「会社でできるなら」という甘い考えが自分にあったことにも気が付いたのです。「やりたいことがあるなら、それをできる場を自分で作るしかない」というのが退職して今に至る大きな理由だったと思います。
そして2年、あっという間でしたが失くしたものも少なからずありますが、得たものは非常に大きいと感じています。皆さんに御贔屓にしていただき、少しづつですが業務も拡大しています。「案ずるより産むが易し」、行動を起こすまでに時間はかかりましたが、やれば良くも悪くも何らかの結果はついてきます。これからも少しづつ、地道に、ブレずにやりたいことをやっていこうと考えています。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。